医学生の解釈(ブログ)

学生が医学部に入って得た視点など。医者の世界をのぞいた非医療人のブログ。

親戚の家庭教師を無料ではしない~給料請求の理由~誠意は金

今回は、「お金が人間関係を作り、人を正しく動かす」という内容について、書いていきます。

 

できごと

先日、僕のおばさん(親の妹)からお願いがありました。

「申し訳ないけど、うちの子供に勉強を教えてもらえないだろうか。」

僕は答えました。

「わかりました。ですが、親戚とはいえ、給料はいただきます。いくらくらいもらえますでしょうか。」

ここで、この会話を聞いていた別の親戚が言いました。

「何で?親戚なんだからタダで勉強教えてあげればいいじゃん。」

(語尾や口調はこのようなものではないですが、ストーリーとしてはこんな感じです。)

 

給料は発生させたほうが良い

確かに、「親戚なんだし、無償でやる」という選択は一見正しいです。

ただ、それではうまくいきません。

 

例えば、無償で教えていた時のことを考えましょう。

家庭教師側は、

  • 「無料で教えてやってるんだし、多少雑に教えてもいいんだ。」
  • 「どうせ善意でやってるんだから、そこそこに教えればいいや。」
  • 「こっちが教えてあげてるんだから、こっちの都合で指導はお休みにします。」

と言える環境になります。

逆に、生徒側も、

  • 「どうせ無料なんだし、今回はお休みしまーす。」
  • 「無料だから、今じゃなくてもいいじゃん。後で勉強しよ。」

となります。

 

「家庭教師と教え子」と言う関係はここでは産まれません。

惰性な勉強しか生まれません。

 

一方で、お金が発生した時、教師は思うのです。

「お金もらっているのだから、お金に見合った分は働かなければ。」

「下手な授業するとお金もらえなくなるから、真面目にしないと。」

逆に生徒側も思うのです。

  • 「せっかくお金払っているんだから、是が非でもこの家庭教師から色々な話を聞きださないと。」
  • 「お金かけてるのに無駄な時間にしたくない。この先生がダメなら、もうこの人に教えてもらうのはやめよう。」

両者には緊張感が生まれます。

 

別に、途方もない高いお金でなくていいのです。なんなら相場よりはるかに安い時給1000円でもよいのです。そこにお金が発生する限り、良好な関係が生まれます。(家庭教師と教え子としての)

 

たとえば、一緒におしゃべりして時間を過ごすだけの、くだらない家庭教師なら、給料など発生しなくても良いのです。ただ、それは家庭教師でも何でもありません。ただの遊びです。責任感など何もありません。

責任感を生むためには、「給料」というものは必須なのです。

「無料」というのは責任感を何も生まない、惰性な時間を作る害悪でしかありません。

 

たしかに無料でやりたい

「親戚から金巻き上げるなんてなんて話だ。」という人がいることも承知です。

僕も親戚の人から給与をもらうのは気が引けます。

できるなら無償で教えたいのがやまやまです。

ただ、無償で教える関係は、長続きはしないでしょう。

家庭教師側にはメリットがないので、本気で教えようとはしません。

 

確かに、お金を払っても、まともに働かない家庭教師もいます。

ただ、「給料がない」限り、そこには責任感は生まれないことでしょう。

時給は安くても良いからお互いに緊張感を持つために、親戚であれ、僕は給料を請求します。

 

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