今回は「敷かれたレールの上を走る」ということについて考えてみたいと思います。
敷かれたレールの上を走る
よく言われる「敷かれたレールの上を走る人生」と言われますが、一般的にはこれは、「親や先生・社会に『こうしろ』『こうあるべき』と敷かれたレール(定められたルール)に従って皆と同じように進んできた」ということでしょう。
自分で何かを決めたのではなく、周囲の期待に合わせて、「みんなと同じように」生きてきた、というのが、「敷かれたレールの上を走る」ということでしょう。
敷かれたレールを知るという事
「敷かれたレールの上を走るとかバカらしいだろ。自由にいこうぜ」って言う人がいます。
僕は敷かれたレールの上を走ることはバカらしいと思いません。むしろ素晴らしいことだと思います。「敷かれたレールの上を走るとかバカらしいだろ。」と言う人は「敷かれたレールの上を走ることさえできないだけの人」だと思います。
「敷かれたレールの上を走る」という事は、「先人たちの学びの軌跡を追う」ということです。「先人たちが行ってきたことを学ぶ」ということです。これは大切です。
「自分でレールを敷くんだ」という人は、意外と「自分でレールを引いている」つもりであっても、それは他人のレールの上にあったりします。(別の人が敷いたレールの上を走っています。)それでよいと僕は思うのです。
誰もやったことのないことを成し遂げるには
「今まで誰もやったことがないこと」を成し遂げるには、「今まで誰がなにを成し遂げてきて、何が成し遂げられてないか」を知らなきゃいけません。 やみくもにできることなんて、大体誰かやっています。だから「今まで何が起きていたか」を勉強すしなければいけないのです。
「今まで何が起きていたか」を学ぶことは、すなわち、敷かれたレールの上を走ることです。ここで、レールの敷き方、レールの上での走り方を勉強するのです。
レールの上を走り続けたらいつかレールは途切れます。ここではじめて「敷かれたレールの上を走ることはバカらしい」と言われるのです。 そこから今度は自分が新しいレールを作るのです。後で、自分の後輩たちが、このレールの上を走ります。
自分一人で伸ばせるレールは少ししかないかもしれませんが、後輩たちが、また自分の敷いたレールを少し伸ばしてくれるでしょう。こうしてレールは伸びていき、我々は進歩していくのです。
少し比ゆ的な表現ばかりになってしまいましたが以上です。またいつか書き直します!